2012年3月12日月曜日

詰将棋は最終手で余詰があっても不完全作にはなりませんが、それでは1手詰は答えが...

詰将棋は最終手で余詰があっても不完全作にはなりませんが、それでは1手詰は答えが2つ以上あっても良いのですか?


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多い手順の場合は許されてるみたいですね。

例えば、伊藤看寿の煙詰めの最終手は、2二馬でも、2二とでもいいです。



たった1手なのですから、答えが2つ以上あるのは不完全のような気はしますね。

それなら、誰でも作れるわいって気もさせますし。



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1手詰めのことを頭に入れて規定していないのでしょう。

二つ以上といっても、途中で変化するならともかく、1手詰めの場合は、まったく違う手順ということになるから、不完全とみなされると思います。

完全、不完全というのは、時代によって変わってきたことでもあり、特定団体のコンテストの審査基準のようなものだと思いますから、重箱の隅をつつくようなことをいっても仕方ありませんよ。



横槍ですが、ヒマジンさんも、長文で熱く語り説教するような質問じゃないではありませんか。


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そもそも1手詰を詰将棋といえるのかと

いう疑問があるのですが、とりあえずそれ

は棚上げして。



以前は最終手余詰という言い方もして

いたように思いますが、今では最終手別詰

と言ってませんでしたっけ? 要するに、作

意の最終手以外で2手以上手数の伸びる

手順があったとしても、それを余詰とはしな

いということですよね。



初手と最終手が同じという特殊な詰将棋

において最終手からの別詰は、不完全と

するのが当然でしょう。現在の詰将棋の

ルールでは明文化されていないとは思い

ますが。



似ているような似ていないような話ですが、

連想したのがあぶり出しの最終手限定問題。

作意以外の最終手だとあぶり出しにならない

場合、以前はあぶり出しが成立する手を選択

するのが解答者のマナーとか言われていたよう

ですが、今では、あぶり出しというからには最終

手まで限定して当然とされているように思いま

す。


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まず用語の使い方をしっかりすることが先です。

「余詰」というのは「作意以外の手順で詰んでしまうこと」ですから、余詰がある詰将棋は全て不完全作です。

質問者が言っているのは「最終3手の尾分れ」というもので、要するに王手に対して「取ればAという手で詰むが、逃げればBという手で詰む」というものだと思います。これはどちらでも正解で余詰ではありません。



>1手詰は答えが2つ以上あっても良いのですか?

これは明らかにダメです。上記の例とは全く違いますので、答えは必ず一つでなくてはなりません。



(補足)

あまり低次元のところで争いたくはないのですが・・・

まずはっきりさせておきましょう。「余詰」のある作品、これは問答無用で不完全作とみなされます。不完全作とはイコール「作品として成立してない、作品としての価値がない」ということですから、

>私が言ってる最終手余詰とは例えば~

のように、安易に余詰という表現を使うべきではない、と言っているのです。これらを「余詰」と言われては作家の方たちはたまったものではないでしょう。



詰将棋用語集-余詰

http://www.shogitown.com/tume/guide/dic-la.html

※正解以外の詰みのこと。但し、成りと不成の選択や打ち場所の非限定などは余詰めに含まれない。余詰めのある詰将棋は、不完全作となる。



また

>暇人さん、あなたが言ってるのは『変化同手数』ですよ。

残念ながらこちらも間違いです。詰将棋の完全不完全の基準は大きく分けて三段階あります。

1.完全作 2.完全ではあるがキズありとみなされるもの 3.不完全作 です。

私が指摘した「最終3手の尾分れ」は、確かに広い意味では「変化同手数」に含まれるのですが、キズとは見なされず、作品自体の価値を下げることもないのです。ですから1.完全作 にジャンルわけされます。対して単なる「変化同手数」はキズありですから、2.に含まれます。両者は作品としての価値に天と地の差が生まれてしまうのです。



詰将棋の解き方-変化と紛れ

http://www005.upp.so-net.ne.jp/tsumepara/contents/2rule/solution.ht...

※例えば15手詰の詰将棋があり、2手目に2通りの応手があったとしましょう。そのいずれも15手詰で持駒が余らない場合、解答を書くときにどちらを書くか困ってしまうはずです。どちらも正解扱いなのですが、なんだか正解が2つあるようですっきりしません。

このような場合を「変化同手数駒余らず」、略して「変同」と呼び、出題するにあたっては作品自体に「キズ」があるとみます。

最終4手以前の変同はキズと考えますが、第1図の詰将棋のように、最終2手の変同は問題ありません。



思うに質問者さんが安易に「余詰」という言葉を用いてしまうのは知識不足もさることながら、作家の方や作品に対するリスペクトが決定的に欠落しているのが原因だろうと思われます。

もう少しデリカシーを持っていただき、かつ勉強していただきたいものです。



(補足)

gtaxaxさん、すみません。全くおっしゃる通りです。

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