詰将棋についての質問です。
これって無駄合ですか?
【原理図】
・玉方
66香、76桂、86香、77と、69銀、79玉、89銀
・攻方
57角、68飛
・持駒 角
作意は97角の一手詰。
2手目玉方は88に合駒をするしかないが、同飛と取られ、68に合駒をするしかない。これを同飛と取ると一手目の局面に戻る。
合駒一枚で2手稼いだが取られるだけ(玉方の持ち駒を増やすだけ)で元の局面に戻っている。つまり手数のばしの効果しかない。
玉方の持ち駒が無限なら詰まないが、実際には有限であり、最後には合駒がなくなって詰む。
ゆえに88~68のすべての合駒は無駄合いなので一手詰である。
どう思いますか?
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そうですね。無駄合いになると思います。とはいいながら無駄合いの規定に関しては、明快な定義が無いのでどうしても解釈に紛れが生じてしまいます。
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無駄合はしないという単純なルールなら1手詰め。
遠くから、飛車を打ったときに、次々に歩を合駒して手数を稼ぐのも無駄合ですから、故意に無駄合手順を繰り返しても無駄合には違いないです。
詰将棋のルールは統一団体があって、そこで一意に細かく決まっている、というわけではないのです。
指将棋のアマ大会のルールと同じです。
だから、詰め将棋をだすごとにその作品のルールを掲げればよいだけです。
決まっていないのに、あたかも決まっているようにいうのはゴリ押しというか詭弁だと思います。
himajin_all_the_peopleさん
>gtaxaxさんのこの論はさすがにメチャクチャ。
>千日手や持将棋に関するルールは大会ごとにまちまちだったりして、それはわかりますが、
>この論は「飛車がナナメに動いても>いい」レベルの話でルール以前の問題です。
>無駄合いの定義に関しては統一見解がなければ話になりません。
>詰将棋のルールについても「最後の審判」のように高度な問題提起をする作品もありますが、
>これはそんなレベルではありませんね。
ごくロジカルに書いたつもりですが、どこをどう読めば、「飛車がナナメに動いてもいい」になるんでしょうか。
アマ大会で、そんなルールをやっているところあるんですか。
統一見解がなければ、これこれのルールで作りました、という但し書きをいれるという、当たり前のことを言っているだけです。
たとえば、江戸時代の詰将棋を解くときに、コマが余っても良い、という前提で解くでしょう。それを明確に入れておけば、
統一見解はなくても作品として成り立つんです。不完全作だなんだと言われなくて済む。
あなたは、ゴリ押しというより、afloblue氏みたいなところありますね。
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他の方の見解とも重なりますが、これは詰将棋として成立していない、不完全な作品だと思います。
「無駄合い」というのは私の理解では、「(合駒してもそのまま取られて詰んでしまうという意味においての)手数伸ばしの意味しかない」ものですが、本作では王手はかかっていても詰んではいません。玉方の最善の応手としては合駒をし続けることになると思います。
よって駒余りの不完全作であり、作品としての価値は全くないと思います。
(補足)
>詰将棋のルールは統一団体があって、そこで一意に細かく決まっている、というわけではないのです。
>指将棋のアマ大会のルールと同じです。
>だから、詰め将棋をだすごとにその作品のルールを掲げればよいだけです。
gtaxaxさんのこの論はさすがにメチャクチャ。
千日手や持将棋に関するルールは大会ごとにまちまちだったりして、それはわかりますが、この論は「飛車がナナメに動いてもいい」レベルの話でルール以前の問題です。無駄合いの定義に関しては統一見解がなければ話になりません。
詰将棋のルールについても「最後の審判」のように高度な問題提起をする作品もありますが、これはそんなレベルではありませんね。
(補足)
>ごくロジカルに書いたつもりですが、どこをどう読めば、「飛車がナナメに動いてもいい」になるんでしょうか。
>アマ大会で、そんなルールをやっているところあるんですか。
あなたの論はそのレベルだと言っているまでです。
無駄合いに関する統一見解は歴としてあります。ローカルルールだと思っているのはあなたの勝手な思い込みに過ぎません。
とりあえずこれでも読んで勉強して下さい。
http://www.shogitown.com/tume/guide/guide.html
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