詰め将棋は本当に必要でしょうか?
詰め将棋の問題集は『詰むことを前提につくられています』だから詰め将棋なのです。
しかし実戦は「これは詰めろ? 自分でも分からない。ここにもう一つ駒があれば詰めろなんだけど……」などなど、
詰みがあるのかも分かりません。
どちらかというと寄せの方法を学ぶほうが詰め将棋を解くよりも強くなれるのかもと思いました。
もちろん『やらないよりはやった方がいい』というのは承知の上ですので、回答者さんそれぞれの意見をいただきたい。
よろしくおねがいします。
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「詰将棋は将棋上達に絶対に必要でしょうか。」という意味でしょうか。
特に必要ないと思います。終盤は、実戦でも鍛えられると思います。
しかしながら、膨大な数の問題があり、新作を作る作家がいる、詰将棋をやらないのはかなり損な気がします。
詰将棋は、それなりにのめり込みやすし、比較的長時間を終盤を考えることになるので、やっていると頭の中でコマがよく動くようになりますし、即詰みの見え方が、やるとやらないとでは比較になりません。
実戦では、終盤は比較的短くて、実力強化の重点が中盤になると思います。
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必要です。
後々の相手玉の詰みを読み切っているからその変化に飛び込める。
渡せない駒が分かっていれば攻め方・受け方の方針の軸になる。
手数計算する上で入りそうな駒と玉の寄りの速度を考えた時に何手稼げばよいか等が分かってくる。
それほど読めないうちはあまり分からないかもしれませんが、特に時間ありの将棋の場合読みの量が勝負を分ける事が多々あります。また詰将棋を解くうちに詰みになるかどうか直感的に把握する力も付いてくるでしょう。
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羽生は毎日欠かさずやっているらしいですが
でも、トッププロにはもう必要ないと思います。
僕は毎日詰め将棋をやっていますが
そのおかげで現在31手詰めまで考えられるようになりました。
毎日やっていると自然と深く読めるようになるので僕は必要だと思います。
確かに寄せを学んだほうが終盤は強くなります。
ですが寄せは詰め将棋より浅いです。
なぜかと言うと寄せの形がある程度に分かれて覚えやすいからです
だから高段者に寄せの本を見せてもあまり勉強にならないでしょう。
だから終盤は強くなっても深く読めるようにはなりません。
詰め将棋は序、中、終盤と全てに役立つので僕は詰め将棋が必要だと思います。
実際アマ強豪やプロ棋士の先生なども詰め将棋をやり続けたからあそこまで上れたのです。
詰め将棋の効力は高段者になってからやっと分かります。
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詰め将棋はあくまで詰む場面で確実に詰ませるために
ある程度鍛えたほうが良いと思います。
今まで詰ます事ができなかった場面で確実に詰ます事ができれば
それだけでも価値がありますよね?
詰ます事ができる場面が増えれば
それだけ寄せに行く場合も選択肢が増えていくのですから。
あとはこれは感覚的に詰む、と言う漠然としたものでも
直感として分かるようになれば、それだけ終盤で使う時間も
考える場面も変わってくるのではないでしょうか?
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詰め将棋はあくまで感覚をつかむためのものです。
ここにこれがあれば詰むのに、というのは詰め将棋などで練習しないとなかなか判断できないと思います。
いきなり終盤なので実戦より多く出来ますし、詰ましやすくする一手や
逃げられないようにする一手など
寄せ、というのは詰め将棋と違い相手が玉以外も動かせるなど
指せる手が多くなるのでアマチュア三段くらいの方が読むそうです。
実際貸していただいても非常に難しかったです。
詰め将棋で終盤に慣れてから寄せを学ぶという方が順番や難易度的にも良いのではないでしょうか?
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私は毎日、詰将棋をやってますが、それ自体が楽しいからであって、別に何かのためにやっている訳ではありません。指し将棋も出来ますがほとんどやりません。
因果論信仰のため理由や結果や必然を求める人が増えていますが、無駄と偶然で出来ているものもあるのです。無駄や偶然でも繰り返しているうちに意味(芸術の様なもの)を感じます。それは人の錯覚かもしれませんが楽しめればいいのです。以上はどうでもよい私の哲学で、無駄を押し付けるつもりはありません。
質問に戻ります。詰将棋に意味を求めても無駄です。将棋や趣味も同様です。さらには仕事や人生も、これに意味を求めるのは個人の自由ですが、それよりも楽しめればよしでいいと私は思います。
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どの程度のレベルかによります。
アマトップレベルになると、寄せの手筋などは
全て知識として持っていますし、
いろいろな戦法の知識も完璧です。
このようなレベルになると、ひたすら難解な詰将棋を
解いて、頭のトレーニングをするのが重要になります。
詰将棋はランニングなどの日ごろの基礎トレーニングに
相当するものになるのです。
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