画像は詰め将棋の詰め上がり図です。
最終手は9八角です。これで終わりでいいのでしょうか。8七に合い駒を何をしても同馬と取られてダメです。
しかし8七の合い駒は9八角に対しての合い駒です。普通の合い駒利かずとは違うでしょう。▲9八角に対して▽8七桂▲同角なら▽7五玉で逃げられます。詰め上がり図より▽8七桂▲同馬にて初めて詰んだといえるのではないでしょうか。
もし、詰め上がり図で「合い駒利かずで終わりだよ」と言われたら、「▽8七合駒▲同角だから終わりだよ」と言っていることになりませんか。
(まあ、カテマスよりは遥かにヘボな私の疑問など見向きもしないであろうが、青いアフロ君の意見でもたまには聞きたいものだよ。私はブラックリストなど使用したことはないから誰でも回答できる)
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詰将棋の解く場合のルールとして、玉方は最長手順を選ぶが無駄合いはしない、というがあります。図では一度合駒ができるので、正確には詰みではありません。合駒をすると、同馬と取って詰みとなり2手増しの駒余りになりますが、そういうのを無駄合といいます。それをやらずに、詰将棋の手順としては図の角打ちで終了です。
3手詰めでは、わりとよく見かける終局図です。
これが、どういう意味で最高傑作なのかは、よくわかりません。
3手目が曖昧なので、そこで桂打ち合をして、飛び駒総出演にするのが作為手順なのかも知れませんけど。
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まず前提として「詰み=詰め上がり」でないことはご理解下さい。
この形の詰め上がりは、慣習として認められています。
しかし、質問者様のおっしゃるような疑問(王手駒で取ったら詰まない合駒を無駄合といえるのか)を持つ人はパラ読者の中にも多く、それがために規約問題が長年解決していません。無駄合とは? 詰め上がりとは?が解決しないまま現在に至っています。
私見ですが、この型の詰め上がりを詰将棋の「詰み」として認める(積極的または容認)派は8割、認めない派は2割もいるでしょう。パラ会員には作家が多いですから、作家の立場としては、これが変長のキズとして扱われると、その時点で発表の機会がなくなり、作品を捨てるか改作せねばなりません。
繰り返しますが、ルールとして解決してないのが現状です。疑問でしたら詰将棋パラダイスのホームページの掲示板で、全日本詰将棋連盟に質問してみることをオススメします。ここで門外漢(失礼!)同士で言い合っても、多分解決しないでしょう。
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そうですよね。そこは私もひっかかるところです。この詰め将棋は無駄合いという規定について問題提起することを意図した作品だと解釈することもできます。1手目は両王手だから2手目には合い駒はできません。でも4手目はどうでしょうか。どう応じても5手目に▲9八角で詰むから無駄合いとなるのでしょうけれど、といって▽4六歩が限定手であるわけでもない。どう応じても良いなら非限定というべきものでしょう。6手目も無駄合いと呼べるかどうか微妙です。本来の無駄合いの定義は詰め手順の本質に変化を与えないことであったはずです。でも、この詰め将棋は7手目の▲8七同馬が両王手で詰みというのが、むしろ詰め手順の本質だと思うのです。確かに▲8七同角では詰まないわけで、この詰め将棋の最後の2手を省略して5手詰めとするのは、詰め上がりで駒が余らないようにするために強引に無駄合いの規定を拡大解釈しているという批判も成立しそうだと思うのです。本来の無駄合いの規定の目的は、無駄に手数を伸ばすことを認めず、手数を限定させることが本義であって、詰め上がりで攻め方が持ち駒を余らせないことは二義的だったとも考えているからです。まあ無駄合いの規定については厳密に定義されているとは言い難いとはいえると思います。おそらく人によって微妙に解釈が異なる部分であろうと思います。この詰め将棋に関しては、5手目▲9八角を持って詰め上がりとする解釈も理解できなくはないけれど正直いって違和感があることは否定しません。4手目の非限定といい問題作といっては言いすぎかもしれませんが、この作品を最高傑作とまで呼ばれては抵抗感があります。もっと厳密かつ明快に無駄合いの規定を改めてくれるのであれば、それがどんな規定であろうとも意義を唱えるつもりもないのですけど。
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詰め上がり図で詰みです。8七に合駒しても同馬で両王手ですから無意味なのです!詰め将棋の規定に『無意味な合駒をしてはならない』というのがあります!
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