『詰将棋』が正しいのに『詰め将棋』と書く人の方が多いのは何故ですか?
|||
詰将棋作家(一般ツメキスト)です。
マニアの間では「詰棋」と呼びます。正確な定義はありませんが芸術の要素を持っていると言えます。あるいは略すのが単にカッコいいからかも知れません。
「詰将棋」が最も一般的な表現ですね。普通は捨て駒などの好手を含みます。
そういうのを含まないでただ王手するだけで詰んでしまうのを、馬鹿にする意味で「詰み将棋」と言う表現を使ったり、あるいは簡単な自作を謙遜して使ったりすることもあります。
「詰め将棋」というのは「め」を付けないと区別できないという皮肉的にツメキストは使います。詰め将棋なんて目じゃないという上から目線です。
質問の答えとしてマニアが「詰め将棋」と書く場合はシニカルな(冷笑するような)意味です。
|||
その昔は、「詰将棋」と呼ばなかったんじゃないですか。
いつどのように「詰将棋」と呼ばれるようになったか知りませんが、明治にできた用語には、だんだん送りがながつくようになって、今では堂々と「詰め将棋」で通っているような気がします。
言葉というものは、たとえ誤用であろうと、多くの人が使い始めると辞書にも載り、その誤用も正しい、ということになってしまい、ちょっとやそっとでは元に戻りません。
たとえば、「一生懸命」は「一所懸命」の誤用ですが、前者の方が普及しています。
気にしなくていいのではないでしょうか。
|||
規則として正しいことは、必ずしも利益をもたらさない好例ですね。
その事実を知っている人は、たぶんほとんどいないと思われます。
つまり本当は間違っていても、「慣習として」正しくなる一つの例ではないでしょうか。
やはり言葉は時代とともに変化するものですからね。
|||
どちらの表記を使う人の数が多いかは一概には言えないと思いますが、「詰め将棋」と書いた方が分かりやすい、というか意味が伝わりやすいという一面があるのは事実だと思います。
「詰将棋」と対比する言葉があるとすると「指し将棋」ですが、こちらは「し」という送り仮名が入るほうが自然で、ないとむしろ違和感があります。「指す」将棋、「詰める」将棋、それぞれの略語が「指し将棋」であり「詰め将棋」であるわけですから、送り仮名があった方が自然だと解釈する人がいても別段不思議はないと思います。「正しい」「間違っている」と目くじら立てて、どうしても白黒をつけなければいけないほどの問題であるとは思えません。
この知恵袋でもたまに「詰み将棋教えてください」というような質問を投げてくる人もいますが、確かに「詰将棋」だと「詰み」とも「詰め」とも「詰む」とも読めそうな気もします。こうした点からも「詰め将棋」という表記がわかりやすいとする考えには一理があると思います。
|||
「つめしょうぎ」を変換すると必ず「詰め将棋」と出てくるからです。しつこく「め」を消すことを続ければ段々に「詰将棋」と出るようになります。
0 件のコメント:
コメントを投稿