詰将棋の詰め手順についてお聞きします。
玉を詰ます手順の中で、詰方の駒が
成っても成らなくても詰むというのは
「余詰め」にはあたらないのでしょうか?
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おっしゃる通り、厳密には余詰めになりますが、
最終手の余詰めは、許容されています。
【詰将棋】
http://ja.wikipedia.org/wiki/詰将棋
より抜粋
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【余詰】
攻め方の応手によって、作意手順以外に発生する
詰め手順(作意より長いか短いかは問わない)。
最終手以外に余詰がある詰将棋は不完全作と見なされる。
【最終手余詰】
最終手(残り1手で詰む状態)で複数の1手詰の手順があったり、
3手以上で詰む詰め手順が別にあること。普通の余詰と異なり、
不完全作とはみなされないが、程度によってはキズと見なされることもある。
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詰めパラQ&Aも参考にしてください。
http://www.katsuraba.mydns.jp/Tumepara/Page/rule.jsp?guid=ON&1
■最終手に余詰があっても許容される
※一手詰作品の場合は許容されない
■最終手作意以外の手順発生は許容範囲
「最終手余詰」
最終手で攻め方に2通り以上の詰め方があること。
どれを選んでも正解とされるが、3手以上かけると
このサイトでは不正解扱いされる。
作品としては成立し、キズにもならない。
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最終手でない「成り、不成り等の非限定」の場合も、
余詰めの一種ですが、通常問題とはなりません。
http://www.geocities.jp/nanami_486/tume.html#.E9.9D.9E.E9.99.90.E5....
細かい慣例なども、下記を参考にしてください。
http://www.geocities.jp/nanami_486/tume.html#.E4.B8.8D.E5.AE.8C.E5....
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ケース・バイ・ケースですが、原則的には余詰めといっていいでしょう。
たとえば、打ち歩詰めがテーマの問題で「成らないことが作意となっているのに成っても詰んでしまう」のは、もちろん余詰めです。
また、最終手で飛車や銀が成っても成らなくても詰み、などという単純な局面を別にすれば、「成不成非限定」は殆ど「別解」であって、大きな減点材料でしょう。
これは、「玉方における成不成非限定」も同じであると思います。
昔、熱心に詰将棋に取り組んでいたときにはこのような「成不成非限定」は個人的には絶対に許せなかったので、どんなに鮮やかな手順の作品でも評価を下げました。自分で作品を作る際も、「成不成非限定」にはならないようにしていました。
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「余詰め」とは、作者の作意以外の詰め手順で詰むことを言います。
作意という言葉がどの範囲までを定義するかによりますが、作意が「XX飛車成り」であるのに対し「XX飛車不成り」が作意以外とは思えません。
従って、ご質問のケースは、余詰めにはあたらないと思われます。
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例えば下図の詰将棋で初手「▲2二銀成」を「▲2二銀不成」とする、
という意味ですよね?
こういうケースは余詰めにはならないです
(これが余詰めだったら過去の詰将棋の大半が余詰め作品になってしまう)。
そしてこういう場合は「成っておく」のが一応の正解手順、と考えてよいでしょう。
飛車・角・歩のように「成ると純粋に利きが増える駒」でも同じです。
もう図を使ってしまったので新たに図を載せれないのですが、
玉方 5一玉、4一歩、6一歩、6二香
攻方 5三歩、4三飛、4四金 持ち駒なし
という詰将棋(と言える代物ではないが)。
これだったら初手▲5二歩不成でも取る一手なので一応OK。
ただ、初形に6二香がない場合に初手▲5二歩不成とすると、
△同玉ではなく「△6二玉」とかわされる手があって詰みません。
こういう場合もあるので、やっぱりどちらでもいい時は「成っておく」のがいいでしょう。
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